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今年(2003年)8月後半に、下半身がぱんぱんにむくんできたので、病院で心電図と血液検査をしていただきました。 実は、夏前くらいから、手・足にシミが出てきていたのです。皮膚病がこんなところに?と、不思議に思って見ていました。 親戚の犬が亡くなった時もそんなシミが出ていたらしいので、うちでは、それを死兆星と名付けました。その時はほんの軽い気持ちで・・・。
検査の結果、腎臓がかなり悪いと告げられました。だからおしっこがたまって、体がむくんでいたのですね・・・。おまけに、ごはんもあまり食べずに水をがぶ飲みだったので、栄養失調にも陥っていました。 心電図の結果には皆驚愕でした。3秒間心臓が止まったりしていたのです。かなりの不整脈でした。先生も「ありえない・・・」と・・・。
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血管を太くする薬と、利尿剤と(あと何だったかな?)をミックスして、粉薬で朝・晩あげました。 それと、栄養をつけるためにミルクとチーズでたんぱく質を補強。おかげでぐんぐん回復していきました!
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でもついに「あと一週間持つかどうか・・・」と言われて・・・。 水を飲むのもやっとという感じで、水の器にアゴを乗せて寝てるんです〜。
常に、オシッコシートの上に座らせて(部屋中オシッコシート&新聞紙)、
お水も常にキータンが届く場所に置きました。
ごはんとお水の二つの食器を置いておきました。
KEETが起きるとすぐにミルク&水を飲ませて、フードを1個ずつ手であげて、
10粒食べたと言っては喜んでいましたね・・・。
お水とミルクは、飲んだらすぐに新しいのに替えていました。
それぐらいしかしてあげることができませんでしたからね・・・。
病気を代わってあげられたら良かったのですけど・・・。
その頃は、3〜4時間おきにおしっこに行かせて、けっこう寝不足モードでしたね。
おむつも買ってみたものの、なんかむれそうで気持ち悪いだろうな〜っと思って
1回も使わなかったんですよ!
それが唯一の自慢です〜。
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KEETは、太らない体質で(心臓のせいかな?)
7キロ台でやっとでしたが、9月に病院で計ったら5.8キロにまで減っていました。
亡くなる2日前からは飲まず食わずになってしまい、5キロあるかないかまでになっていました。
ほんっとに骨と皮だけで、可哀想でした。
3日前までは、私たちのご飯をくれ〜!って、ワンワン吠えておねだりしてたのに、2日前には急に飲まず食わずになってしまいました。
たぶん、悪かった腎臓機能がストップしてしまって、将棋倒しに他の機能もストップしちゃったのでしょうね。
前日には、ほぼもう立てない状態に・・・
なのに、トイレには起きて行こうとするんですよ。
もらしちゃいけないって、思ってたのかな?
ベランダに出してあげると、ブワ〜って出てきました。
もう液体に近い下痢でした。
一緒にオシッコも出ました。
立てないので、寝そべった状態でした。
そしたら、KEETが「ごめんね、もらしちゃった・・・」という顔をしたんです。
「いいのよ!キータン!ちゃんと出て良かったね〜」と、思いっきりなでなでしてあげました。その時の顔を、思い出すたびに号泣しちゃいますね。
ほんっとに、とってもいい子っ!おりこうさんっ!あまえんぼさんっ!
それに、とっても我慢強い子っ!
最後まで、痛いよ〜って泣かなかったもんね。
でも、泣いてよかったんだよ。最後くらいさ・・・。
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キータン赤ちゃんの頃
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最後はおうちで息を引き取ったので、私たちには後悔はありません。
四十九日までKEETは家にいます。
なので、即席ですがお仏壇を作りました。
朝起きて「おはよ〜」と声かけて、お線香を。
家に帰ってきたときは、「ただいま〜」と声をかけてお線香とおやつのジャーキーを。夜寝るときは、おやすみ〜と声かけて。 一緒に寝れないのが悲しいです・・・。
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まだまだ悲しみが強くて、いろんなところでKEETを思い出しては泣いちゃっています。 キータンパパと二人で「泣きすぎ〜!」と、お互いを突っ込みながら泣きじゃっくっています。
キータンパパとKEETは私よりも付き合いは短いけれど、
濃い時間を過ごして私と同じくらいの仲になっていましたから、
息を引き取った時は彼の方がより泣いていました。
KEETが彼に引き合わせてくれたのだと思います。
ほんっとにかわいがってくれました。
KEETにどれだけのことができたのかな、幸せだったと思ってくれているのかな、強く叱ったことを許してくれるのかな・・・?
など、色々な想いでいっぱいです。
今現在、愛犬の介護で悩んだりいっぱいいっぱいだという方や、これから介護のことを考えておられる方がいらっしゃったら、私たちの介護記録が何らかのご参考になれば・・・、と思い書いてみました。
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2003年11月 キータンママ
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