KEETの名前は、マライヤ・キャリーの黒人のバックダンサーの一人からつけたものです。
ひざの中で丸くなって寝ている写真は、キータンパパのひざの中です。冬は、いつもこうです。
<手記> キータンママさん
うちの姉が遊びにきたので、デジカメを横取りして撮影会やっちゃいました〜。
姉の犬はロングチワワです。茶がオスのZERO、黒がメスのTENです。
(談話)キータンママさん


(1)お名前 KEET
(2)犬種・性別 パグ犬・♂
(3)年齢・体重 1993年12月30日生・6kg
(4)食事とおやつ 食 事→ユーカヌバシニア
おやつ→:ビスカル
(5)睡眠 20時間位は寝てると思います。
(6)散歩 今は、散歩控えてます。バルコニーに5回程・・・
(7)得意技 お手・おかわり・待て・声を出さずに吠える(パクパク)
(8)近所の評判 「おとなしいわね〜」と言われる。
もしくは、「このハグハグ言ってるのは怒ってるの?」と勘違いされる。
(9)お悩み ・病気がどんどん出てくる。(年のせいだろう・・・・)
・美容室のお姉ちゃんが大好きで、お迎えにくると飛びついて行く。行ってらっしゃ〜い!と言っても振り向いてくれない。
(10)コメント こう見えても2児の父です。






キータンママさんが、「愛犬の介護について考えておられる方々の
  ご参考になれば・・・」と、KEET君の療養中のことを語ってくださいました。


今年(2003年)8月後半に、下半身がぱんぱんにむくんできたので、病院で心電図と血液検査をしていただきました。
実は、夏前くらいから、手・足にシミが出てきていたのです。皮膚病がこんなところに?と、不思議に思って見ていました。
親戚の犬が亡くなった時もそんなシミが出ていたらしいので、うちでは、それを死兆星と名付けました。その時はほんの軽い気持ちで・・・。

検査の結果、腎臓がかなり悪いと告げられました。だからおしっこがたまって、体がむくんでいたのですね・・・。おまけに、ごはんもあまり食べずに水をがぶ飲みだったので、栄養失調にも陥っていました。
心電図の結果には皆驚愕でした。3秒間心臓が止まったりしていたのです。かなりの不整脈でした。先生も「ありえない・・・」と・・・。
7/30
血管を太くする薬と、利尿剤と(あと何だったかな?)をミックスして、粉薬で朝・晩あげました。
それと、栄養をつけるためにミルクとチーズでたんぱく質を補強。おかげでぐんぐん回復していきました!
7/30
でもついに「あと一週間持つかどうか・・・」と言われて・・・。
水を飲むのもやっとという感じで、水の器にアゴを乗せて寝てるんです〜。 常に、オシッコシートの上に座らせて(部屋中オシッコシート&新聞紙)、 お水も常にキータンが届く場所に置きました。 ごはんとお水の二つの食器を置いておきました。
KEETが起きるとすぐにミルク&水を飲ませて、フードを1個ずつ手であげて、 10粒食べたと言っては喜んでいましたね・・・。
お水とミルクは、飲んだらすぐに新しいのに替えていました。 それぐらいしかしてあげることができませんでしたからね・・・。
病気を代わってあげられたら良かったのですけど・・・。
その頃は、3〜4時間おきにおしっこに行かせて、けっこう寝不足モードでしたね。 おむつも買ってみたものの、なんかむれそうで気持ち悪いだろうな〜っと思って 1回も使わなかったんですよ! それが唯一の自慢です〜。

KEETは、太らない体質で(心臓のせいかな?) 7キロ台でやっとでしたが、9月に病院で計ったら5.8キロにまで減っていました。
亡くなる2日前からは飲まず食わずになってしまい、5キロあるかないかまでになっていました。 ほんっとに骨と皮だけで、可哀想でした。
3日前までは、私たちのご飯をくれ〜!って、ワンワン吠えておねだりしてたのに、2日前には急に飲まず食わずになってしまいました。 たぶん、悪かった腎臓機能がストップしてしまって、将棋倒しに他の機能もストップしちゃったのでしょうね。
前日には、ほぼもう立てない状態に・・・
なのに、トイレには起きて行こうとするんですよ。
もらしちゃいけないって、思ってたのかな?
ベランダに出してあげると、ブワ〜って出てきました。
もう液体に近い下痢でした。
一緒にオシッコも出ました。
立てないので、寝そべった状態でした。
そしたら、KEETが
「ごめんね、もらしちゃった・・・」という顔をしたんです。 「いいのよ!キータン!ちゃんと出て良かったね〜」と、思いっきりなでなでしてあげました。その時の顔を、思い出すたびに号泣しちゃいますね。
ほんっとに、とってもいい子っ!おりこうさんっ!あまえんぼさんっ! それに、とっても我慢強い子っ!
最後まで、痛いよ〜って泣かなかったもんね。
でも、泣いてよかったんだよ。最後くらいさ・・・。

7/30キータン赤ちゃんの頃

最後はおうちで息を引き取ったので、私たちには後悔はありません。
7/30四十九日までKEETは家にいます。
なので、即席ですがお仏壇を作りました。
朝起きて「おはよ〜」と声かけて、お線香を。 家に帰ってきたときは、「ただいま〜」と声をかけてお線香とおやつのジャーキーを。夜寝るときは、おやすみ〜と声かけて。
一緒に寝れないのが悲しいです・・・。

まだまだ悲しみが強くて、いろんなところでKEETを思い出しては泣いちゃっています。
キータンパパと二人で「泣きすぎ〜!」と、お互いを突っ込みながら泣きじゃっくっています。
キータンパパとKEETは私よりも付き合いは短いけれど、 濃い時間を過ごして私と同じくらいの仲になっていましたから、 息を引き取った時は彼の方がより泣いていました。
KEETが彼に引き合わせてくれたのだと思います。 ほんっとにかわいがってくれました。
KEETにどれだけのことができたのかな、幸せだったと思ってくれているのかな、強く叱ったことを許してくれるのかな・・・? など、色々な想いでいっぱいです。


今現在、愛犬の介護で悩んだりいっぱいいっぱいだという方や、これから介護のことを考えておられる方がいらっしゃったら、私たちの介護記録が何らかのご参考になれば・・・、と思い書いてみました。


2003年11月  キータンママ





イラストの画像は博多のP2に売っていたPOST CARDです。
なんか、博多のアーティストが書いたみたいです。
全国にあるかな?
   (談話)キータンママさん